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福岡地方裁判所飯塚支部 昭和47年(ワ)36号 判決 1973年1月18日

原告

田中シサエ

被告

後藤雄次郎

主文

被告は原告に対し金三二万三、四九二円及びその内金二九万三、四九二円に対する昭和四四年一一月一〇日から、内金三万円に対する昭和四七年四月四日から各支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

原告のその余の請求を棄却する。

訴訟費用はこれを一〇分してその一を被告のその余を原告の各負担とする。

本判決主文第一項は仮りに執行することができる。

事実

原告は「被告は原告に対し金六〇七万四、四六八円及びこれに対する昭和四四年一一月一〇日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決並に仮執行の宣言を求め、その請求の原因として、

一  原告は、昭和四四年一一月九日午後六時三〇分頃、嘉穂郡穂波町天道四一の一、林木工所前道路上において、シエパードにひかせたリヤカーをひいて歩行中被告が所有し運転する軽自動車(八福岡き九七一九)(以下加害車という)に衝突され、左下腿、足関節部開放骨折、頭部外傷等の傷害をうけ、約一〇日間にわたる意識喪失とその後長期にわたる入・通院治療を余儀なくされた。

右事故は被告の飲酒酩酊運転の結果その過失によつて生じたものであり、被告は当時自己の所有車を自己のため運行の用に供していたもので、自賠法第三条民法第七〇九条により、原告に生じた損害を賠償すべき義務がある。

二  損害(総計金八三七万二、四六八円)

(一)  財産上の損害

(イ)  治療費合計金九四万二、九三六円の内残金二万四、九七八円。

治療費のうち金九一万七、九五八円は被告から支払をうけたが、原告はそのほか飯塚病院に対する金四、八七五円、丸田耳鼻科医院に対する金一、八四五円、繩田医院に対する金一、八六〇円、松隈眼科医院に対する金七、四一八円、藤野医院に対する金五、六五〇円、青山医院に対する金三、三三〇円の合計金二万四、九七八円を支払つた。尚このほか原告はマツサージ治療をうけたが、その代金七万円は被告から支払を得ている。

(ロ)  附添料金二四万三、六二〇円の内残金一五万三、七五〇円

原告は、受傷後約一〇日間人事不省となり一カ月間にわたつて「おしめ」を必要とする等の重症で、事故の日から昭和四五年四月三〇日まで一七三日間にわたり附添を要する状態であつた。そうしてそのうち昭和四四年一一月一五日から同年一二月三〇日までは専属附添婦をつけ、それ以外の一二三日間は原告の夫訴外芳雄が附添をした。

被告は右専属附添婦の費用金八万九、八七〇円の支払はしたが訴外芳雄の附添にかかる一二三日分の附添費相当額は支払をうけていない。そうして、その費用は一日当り金一、二五〇円を相当とするから合計金一五万三、七五〇円となる。

(ハ)  入院中の雑費合計金九万九、三〇〇円

原告は、本件事故により三三一日間入院し、その間前記の「おしめ」取替費のみでも一日一組(一〇枚)金四〇〇円を必要としたほか、諸雑費を支出したが、被告はこれに関して牛乳代として金一万四、八六八円、茶菓代として金三、〇〇〇円を支払つた。そこで右支払分を除き、原告が入院中に支払つた諸雑費は一日当り金三〇〇円の合計金九万九、三〇〇円に相当する。

(ニ)  肉親の交通費金五万五、〇〇〇円

原告には子が九人あり、原告の傷が重篤であつたため、その子らを配偶者と共に呼び寄せた。その費用は次の通りである。

四女幸恵は大阪府高槻市に居住し、その夫と二人分の航空運賃、車代は合計金三万一、〇〇〇円であつた。

三男秀幸は岡山県倉敷市に居住し、その妻と二人分の汽車・車代は合計金八、〇〇〇円であつた。

他の子七名並びに夫訴外芳雄の交通費は一人当り金二、〇〇〇円の合計金一万六、〇〇〇円であつた。

以下合計金五万五、〇〇〇円。

(ホ)  通院のための交通費合計金三万七、四四〇円。

肩書自宅より飯塚病院まで往復七回分、新飯塚駅より同病院まで往復三〇回分のタクシー代金一万五、六〇〇円。国鉄九郎原駅より新飯塚まで往復一四四回分の汽車代金一万七、二八〇円。

新飯塚駅より飯塚病院まで往復一一四回分のバス代金四、五六〇円。

以上合計金三万七、四四〇円。

(ヘ)  逸失利益金三四八万二、〇〇〇円

原告は明治四〇年四月二七日生れで事故当時六二才の女であつたが、極めて頑健で壮者をしのぐものがあり、日常飼犬のシエパードにリヤカーをひかせて野菜・雑穀等の仕入れ販売(行商)に従事し、その販売純益は、極めてひかえめに見積つても一カ月金四万五、〇〇〇円を下らないものであつた。

原告の症状固定は昭和四六年四月二〇日であつてその間全く右行商に従事できなかつたから事故の翌日(昭和四四年一一月一〇日)から右症状固定の日までの逸失利益は金七九万〇、五〇〇円となる。

次にその後も原告は左足関節の用廃九〇度にて強直、左足指の用廃半屈位にて拘縮、顔面三・五センチの線状痕の後遺症(自賠法施行令別表第六級の認定をうけている)のほか、両感音性難聴の後遺症がありすくなくとも労働能力の六七%を失つた。

そうして原告の健康さからみれば、若し本件事故がなかつたならば、症状固定の日の翌日以降もなお一〇年間にわたり前記の労働に従事して前記の純益を挙げ得たものであるから、原告は本件事故により右労働能力喪失の割合に応ずる年間金三六万一、八〇〇円の純益を失つたことがあきらかである。よつてホフマン式計算により、基準日を昭和四六年四月二〇日としてその失つた得べかりし利益の現在額を計算すると、金二八七万四、〇〇〇円(一、〇〇〇円未満切捨て)となる。

これに前記金七九万〇、五〇〇円を加えた金三六六万四、五〇〇円に〇・九五を乗じた金三四八万二、〇〇〇円(一、〇〇〇円未満切捨て)が事故日を基準日とする原告の本件事故による逸失利益である。

(ト)  リヤカー一台破損による損害金一万円

本件事故により原告はその所有にかかるリヤカー一台を滅失したので、その評価額相当の金一万円の損害をうけた。

(チ)  シエパード死亡による損害金一万円

本件事故により原告はその所有にかかるシエパード一頭を死亡させ、その評価額相当の金一万円の損害をうけた。

(二)  非財産上の損害金四〇〇万円

原告の傷害の部位、程度は前記の通りであり、昭和四四年一一月九日(事故当日)から昭和四五年九月一一日まで、及び同年一一月三〇日から同年一二月二三日まで飯塚病院に入院し、昭和四五年九月一二日から同年一一月二九日まで、及び同年一二月二四日から昭和四六年四月二〇日まで同病院に通院したほか、昭和四六年三月、四月には事故の結果たる難聴により丸田耳鼻科医院に三〇回通院して治療をうけた。

そのほか、昭和四五年一一月頃繩田医院に一五回、昭和四五年一〇月から同四六年四月二六日まで松隈眼科医院に六六回同年五月から同年八月二四日まで藤野医院に六回各通院して事故による結膜炎等の治療をうけ、更に鍼灸治療もうけた。そうして前記(一)(ヘ)の後遺症が残つている。

これらの事情を考慮すれば、原告が本件事故に基く傷害の結果、重大な精神的苦痛を蒙つたことは明らかであり、金四〇〇万円の支払をもつて慰藉せられるべきものである。

(三)  弁護士費用金五〇万円

本件において被告に負担せしむべき本件事故と相当因果関係がある弁護士費用は金五〇万円が相当である。

三  弁済等

被告は原告に対し休業補償として金一二万八、〇〇〇円を支払い、また原告は自賠責保険金二一七万円を受給した。

四  よつて原告は被告に対し第二項の総計金額から前項の合計金二二九万八、〇〇〇円を差引いた金六〇七万四、四六八円とこれに対する事故発生の翌日(昭和四四年一一月一〇日)から支払ずみまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

と陳述し、被告の免責事由に関する主張並びに過失相殺に関する主張を否認した。

被告は「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求め、答弁として、

一  原告主張の日時場所において、被告が所有し運転する加害車による自動車事故が発生し、傷害の部位程度は別として原告が負傷したこと、被告が原告に対し、その主張の金額の治療費、附添料、マツサージ料、牛乳代、茶菓代、休業補償を支払い、被告がその主張の自賠責保険金を受給したことは認めるが、本件事故が被告の飲酒酩酊運転の結果その過失によつて発生したこと、原告にその主張の如き得べかりし利益の喪失並びに精神的苦痛があつたことはこれを否認し、その余の主張は不知。

尚、原告は夫の附添をいうが、原告の夫は原告入院中自動車事故により死亡している。また原告主張の逸失利益の額は極めて非常識なものである。

と答え、更に抗弁として、

二  加害車には当時構造上の欠陥又は機能の障害はなかつた。被告にも運転上の過失はなく、本件事故は原告の一方的過失によつて発生したものである。

即ち、当時被告は加害車を運転して国鉄天道駅前から国道二〇〇号線に出るため、天道駅前派出所のところで一旦停止し左右の飯塚、原田各方面からの交通の安全を確認した上発進右折して国道上に出た。そうして、センターラインと道路左端との中間上を時速四〇粁くらいで進行し、約一五〇米行つたとき、前方から加害車と同様の速度で進行して来る二台の対向車とすれ違つた。原告は右対向車の二台目が通過した直後を、何等左右の安全を確認することなく、リヤカーをひいて斜めに横断して来た。原告は右目の視力がほとんどなかつたということであり、加害車が前記二台目の対向車の死角にはいつていて加害車を全く発見していなかつたものと考えられる。

その結果、加害車を運転していた被告は二台目の対向車とすれ違つた瞬間、原告の影が眼前に飛び込み、前方注視に怠りはなかつたけれどもこれを避ける時間的余裕がなく、ブレーキを踏むのと加害車のフロントガラスの左側にリヤカーの引手が衝突するのとが同時であつた。

被告は当時アルコールを身体に保有していたが、自動車の運転には全く支障がなかつた。よつて、本件事故は原告の一方的過失によつて発生したというべきである。

三  かりに前項の免責の主張が容認されないとしても、原告は自己の進路の安全を全く確認しなかつた重大な過失があり、その損害中八割は過失相殺せらるべきものである。

と陳述した。

(証拠)〔略〕

理由

一  事故の発生について。

原告主張の日時場所において、被告が所有しかつ運転する加害車による自動車事故が発生したことは当事者間に争いがなくこの事実と〔証拠略〕の一部をあわせると、

(一)  昭和四四年一一月九日午後六時三〇分頃、嘉穂郡穂波町天道四一番地の一、林木工所前の国道上を、被告は加害車を運転し桂川町方面から飯塚市方面に北進していた。当該道路はアスフアルト舗装の平坦な直線道路で見通しを妨げる障害物はなかつた。当該道路はセンターラインをはさんで片側三・六米の車道があり、さらに歩行帯表示線をおいて約一・一米の歩行帯が設けられていた。被告は、加害車を運転して右道路の左側、歩行分離帯にそつた車道部分を毎時四〇粁位の速度で進行していた。尚同所は毎時四〇粁の速度規制があつた。

(二)  被告は酒が好きなほうで、清酒五ないし六合位の酒量があつたが、当日午後一時頃穂波町天道の弟訴外後藤正徳方でウイスキー約六勺をサイダーで割つて飲んだほか、午後二時半頃から同三時半頃までの間自宅で右正徳と共に清酒(冷酒)を飲み、その量は被告が約一合五勺であつた。更に被告は、午後五時半頃から午後六時二〇分頃までの間、知人の訴外籾井政行と共に穂波町天道の飲食店「よし子」において夫々かんをした清酒をコツプで三杯づつ飲み、訴外籾井を同乗させた加害車を運転して自宅に戻る途中であつた。

被告の酔いの程度は、当日午後六時四五分頃、飯塚警察署天道巡査部長派出所での鑑識結果によれば、呼気一リツトル中に一、〇ミリグラム以上のアルコールを体内に保有し、酒臭が強く、足がふらつき、直立すると身体が左右にゆれる状態であつた。

(三)  原告(明治四〇年四月二七日生)は、当日行商の帰りで、犬にひかせたリヤカーをひき、日没後であつたが灯火は持つていなかつた。そうして本件事故現場の手前まで国道の左側を桂川町方面にむかつて歩いていたが本件事故現場のすぐ先(桂川町側)にある交さ点で穂波川堤防道路に右折するため、その交さ点の手前で同国道を横断した。

(四)  本件事故は、右横断の直後、原告がその向きを桂川町方向に変える前に発生したものであつて、被告は約五米前方に右原告を発見し、急ぎブレーキをふんで衝突をさけようとしたが、及ばず加害車の前部にリヤカーの左側を衝突させた。

右の通り認めることができる。

右衝突直前の原告の歩行経路について、〔証拠略〕によれば、原告は横断の事実を述べていない。しかし原告が本件事故発生の前に本件国道を横断したことは原告本人尋問の結果によつて明らかである。次に、〔証拠略〕によれば、原告は横断を終つて後、完全に桂川側にリヤカーの向きを変えて歩いているところを衝突されたというのであるが、この点は次の理由によつて措信できない。即ち〔証拠略〕によれば、加害車はその前部中央が大きく破損しているのに対し、リヤカーは左前部の支柱に加害車の塗料が付着し、左車輪軸うけにすり痕があつて、加害車の前部がリヤカーの左側に衝突したと認められる。この事実と前記原告の横断の事実をあわせると、衝突したときの状況は前記(四)の如く認定すべきものである。

〔証拠略〕中以上の認定に反する部分は措信できず、他にこの認定を左右するに足る証拠はない。

二  被告の保有者責任並びに過失責任について。

〔証拠略〕を併せると、被告は加害車のいわゆる保有者であつたが当時自己の酒量の限度に近いところまで酒を飲み、正常な運転はできない状況にあつたもので、そのため前方注視が不十分となり進路前方を横断する原告の発見がおくれ、約五メートル手前に至つてはじめてこれを発見し、有効な制動を為すいとまもなく衝突したものと認定するのが相当である。

そうすると、被告は、自賠法第三条により原告が本件事故の結果蒙つた身体傷害に基く損害を賠償すべき義務があると共に、民法第七〇九条によりそれ以外のいわゆる物損についてもこれを賠償すべき義務があるというべきである。

被告はその免責を主張するが、原告が二台目の対向車のすぐ後ろからリヤカーをひいて斜めに横断して来たので、前方注視に怠りはなかつたけれどもこれをさける時間的余裕がなかつたとする被告の主張に同旨の被告本人尋問の結果は前掲各証拠資料にてらして措信できず、他にその免責事由を肯認するに足る証拠はない。よつて被告の免責の主張は採用できない。

三  原告の過失について。

本件事故発生は日没後であつた。そうして本件リヤカーはいわゆる軽車両に属するもので、日没後は道路交通法第五二条第一項、同法施行令第一八条第一項第五号、福岡県道路交通法施行細則第七条による前照燈を備えなければならなかつたし、それがあれば被告もより早く原告を発見し得たであろうと推認されるが、原告はこれを怠つていた。そうして前記衝突の状況、前記認定の如き加害車の速度からして、原告は左右の交通の安全を十分に確認しないまま本件道路を横断したものと認められる。そうすると本件事故については、原告側にも過失があつたというべきである。尚原告の視力に関する被告の主張は、これを確認するに足る証拠がない。

四  損害

(一)  財産上の損害

(1)  原告の身体傷害に基く損害について、

〔証拠略〕の一部を併せると、原告は、本件事故により左下腿、足関節部開放骨折、頭部外傷の傷害をうけ、左記の通り入院・通院して治療をうけたことが認められる。尚原告は約一〇日間の人事不省を主張するが、〔証拠略〕によつても「断続的に正気に戻つた」との供述があり、右主張を確認するに足る証拠はない。

飯塚病院第一次入院 自昭和四四年一一月九日(事故当日) 至昭和四五年九月一一日(三〇七日間)

同通院 自昭和四五年九月一二日 至同年一一月二九日

同第二次入院 自昭和四五年一一月三〇日 至同年一二月二三日(抜釘術のため二四日間)

同通院 昭和四五年一二月二四日以降

更に前掲証拠によれば、原告は昭和四六年四月二〇日症状固定の認定をうけたが、両上眼瞼(眉毛の上・下)に裂創痕を残すほか、左下腿下部の内側に約一三糎、外側に約四糎の瘢痕があり、左足関節は九〇度で強直し、左右各趾は半屈状態で拘縮する後遺症(自賠法施行令別表六級相当)を負うことになつたことが認められる。

他にこの認定を左右するに足る証拠がない。

尚原告は両感音性難聴の後遺症を主張し、〔証拠略〕によれば、原告に右の症状があることは明らかである。しかし、これが本件交通事故の結果であるとする原告の主張に同旨の原告本人尋問の結果はにわかに措信できず、他にこの点の因果関係を首肯するに足る証拠がない。

(イ) 治療費について

被告が原告に対し本件治療費として金九一万七、九五八円の支払を為し、他にマツサージ費用金七万円を支払つていることは当事者間に争いがない。

そうして、〔証拠略〕に弁論の全趣旨を併せると、原告は右のほか昭和四五年九月一八日から昭和四六年四月一六日までの間飯塚病院整形科、精神科で治療をうけた治療費合計金四、五八七円を支払つたことが認められ、以上は本件事故と相当因果関係にある損害と認めることができる。この認定を左右するに足る証拠はない。

右のほか、〔証拠略〕によれば、原告は昭和四五年九月一八日から昭和四六年八月二四日までの間に飯塚病院眼科、丸田耳鼻咽喉科医院、繩田医院、松熊眼科医院、藤野医院、青山医院で各治療をうけ、合計金二万〇、三六一円を支払つた事実もうかがわれるが、全立証を検討しても右の支払が本件事故と相当因果関係にある損害であることを認定するに足る証拠がない。

(ロ) 附添料について

〔証拠略〕を併せると、原告は入院当日である昭和四四年一一月九日から翌四五年四月三〇日まで一七三日間は附添を要する状態であつたこと、そのうち昭和四四年一一月一五日から同年一二月三〇日まで四六日間は専属附添婦を依頼し、その余は原告の夫訴外芳雄が附添をしたこと(尚同訴外人は昭和四五年五月交通事故で死亡)、右専属附添人の附添料は金八万九、八七〇円であつたことの諸事実が認められる。そうして右専属附添人の附添料を被告が支払つたことは当事者間に争いがない。

そこで夫訴外芳雄の附添にかかる附添料相当の損害額を検討するに、前記専属附添人の附添料(一日当り金一、九五三円強)からして、原告主張の一日金一、二五〇円はこれを相当と認めるべきである。

してみるとそのうち原告主張にかかる一二三日分の附添料相当の損害額は金一五万三、七五〇円となり、これは本件事故と相当因果関係にある損害と認められる。

以上の認定を左右するに足る証拠はない。

(ハ) 入院中の雑費について

前記の如く原告は通算三三一日にわたつて入院したが、〔証拠略〕を併せると、原告は前記第一次入院の当初意識の混濁があり(前記の通り、一〇日間人事不省であつたとまでは認め難いが)、またその後も年令、傷害の部位・程度からして約一カ月間用便におしめを使用し一日金四〇〇円の費用を要したほか、入院生活に伴う相当の諸雑費(栄養補給の目的での牛乳飲用費を含む)を支出したことが認められる。よつてそのうち、本件事故と相当因果関係がある額を検討するに、その額は前記の如き原告の年令、傷害の部位・程度、入院期間等も併せ考えると前記おしめ代も含めて第一次入院の三〇七日間のうち最初の三〇日間は一日金七〇〇円、爾余の二七七日間は、一日金三〇〇円、第二次入院の二四日間は一日金二〇〇円の割合で認めるのが相当である。

してみると、その雑費の総額は金一〇万八、九〇〇円となり、これは本件事故と相当因果関係にたつ損害と認めることができる。この認定を左右するに足る証拠はない。

しかして被告は原告に対し牛乳代として金一万四、八六八円、茶菓代として金三、〇〇〇円を支払つたことは、当事者間に争いがなく、これは右の入院雑費に対する弁済と認めるのが相当である。よつてこれを差引くと残損害額は金九万一、〇三二円である。

(ニ) 親族の交通費について

〔証拠略〕によれば、原告に九人の子があり、本件事故によつて大阪府高槻市、岡山県倉敷市その他各居住先から呼寄せたことが認められるが、全立証を検討しても、その支出費用が相当因果関係に立つものと認めるに足る証拠はない。原告主張の夫の交通費については、その附添期間中のものは前記認定にかかる附添費用に含まれるものと解するのが相当であり、これと別個の損害として採用することはできない。附添期間外のものは前記子の交通費と同じく、相当因果関係に立つものと認めるに足る証拠がない。

(ホ) 通院のための交通費について

〔証拠略〕によれば、原告は前記認定の本件傷害に関し、昭和四六年四月二〇日症状固定の認定をうけるまでの間、入院期間を除く間に八回飯塚病院に通院して治療をうけたことが認められ、この交通費は本件事故と相当因果関係にたつ損害と認めることが出来る。しかし全立証によつてもその際タクシーを使用したかどうか、またタクシーを使用すべき状態であつたかどうか確認することが出来ないから、汽車・バス運賃相当額をもつてこれを認めることとし、〔証拠略〕によればその額は一往復当り金一六〇円であるから合計金一、二八〇円となる。

原告は合計金三万七、四四〇円の交通費を主張するが(請求原因第二項(一)(ホ))、右主張に同旨の甲第一四号証、証人田中栄治の供述は、その通院の日時、通院の目的が明らかでなく、本件事故との相当因果関係も認めるに足りない。

よつて右各証拠は措信できず、他に右認定を超える通院交通費の損害を認めるに足る証拠はない。

(ヘ) 逸失利益について

〔証拠略〕に弁論の全趣旨を併せると以下の事実を認めることができる。即ち、原告は明治四〇年四月二七日生れの女性で本件事故当時六二才であつたが年令の割には身体強健で、同居の長男夫婦や夫が農業に従事していたので農繁期にはその手伝もしたが、平常は主として米、雑穀、野菜その他季節によつては柿、木炭、しめ飾り、花筒、柴等の行商に従事していた。

しかして特に米が主たる取扱商品で、食糧管理法、同法施行令に定める販売業者たる資格は何等有しなかつたが、自家生産米のみならず、近所の生産農家から大量に仕入れ、穂波町、飯塚市等に得意先を持つてリヤカーで配達していたもので、本件事故当日も米五俵をリヤカーに積み配達と集金をしていたものである(甲第二三号証)。その取扱量は一カ月間にすくなくとも米六〇俵に達し、純益は俵当りすくなくとも金六〇〇円を下らなかつた(一カ月金三万六、〇〇〇円)。

米を除くその余の商品(これも生産者から仕入れたものが主であつた)の販売利益は米にくらべてはるかに少く、一カ月金一万円程度であつた。

〔証拠略〕中右の認定に反する部分は措信できず、他にこの認定を左右するに足る証拠はない。

しかして、原告の米の販売利益は、いわゆるヤミ商売によるものであつて、損害賠償制度という法の保護に値しない違法の利益であるといわねばならないから、前記の米を除くその余の商品の販売利益を基準として原告の逸失利益を判断するに、原告は本件事故の結果本件事故発生の翌日(昭和四四年一一月一〇日)から症状固定の昭和四六年四月二〇日まで一年五カ月と一一日間は全く行商に従事できず、一カ月金一万円の割合による合計金一七万三、六六六円(円未満切捨)の損失を蒙つた。

また、昭和四六年四月二一日以降も、前記後遺症のため、すくなくとも労働能力の六七%を失つた(労働能力喪失表)ことが認められる。そうして、第一二回生命表によれば原告は本件事故発生当時なお一六年の平均余命を有し、前記の如きその健康度、日常従事していた労働の内容からすれば、すくなくとも六八才までの六年間は同様の労働に従事し同様の収益を挙げることができたと認められる。

そこで、右労働能力の喪失によりホフマン式計算法によつてその間に失われた得べかりし利益の現在額(事故発生時基準)を算定するとその結果すくなくとも金三〇万五、〇五一円を下らないものと認めることができる

(6,700円×(62.8521-17.3221))。

以上は、本件事故と相当因果関係に立つ損害であると認められ、以上の認定を左右するに足る証拠はない。

(2)  物損について

〔証拠略〕によれば、本件事故により原告所有のリヤカーは損壊して再使用不能となり、これをひかせていた原告所有のシエパードも死んだこと、その事故発生当時の価額は共に金五、〇〇〇円を下らなかつたことが認められ、〔証拠略〕中この認定に反する部分は措信できず、他にこの認定を左右するに足る証拠はない。

そうすると右合計金一万円は本件事故と相当因果関係に立つ損害と認めることができる。

(二)  非財産上の損害

原告は本件事故により前記認定の如き入院・通院を要する傷害をうけ、かつ後遺症を残し、不自由な余生を送らねばならなくなつたもので、重大な精神的苦痛を蒙つたことは容易に推認することができるから、本件全証拠によつて認められる諸般の事情を考慮し、金二五〇万円の支払をもつてこれを慰藉せらるべきものとするのが相当である。この認定を左右するに足る証拠はない。

五  過失相殺について

本件につき前記認定にかかる原告の過失を考慮すると、以上認定にかかる損害金合計金三二三万九、三六六円中二〇%(金六四万七、八七三円二〇銭)を相殺するのが相当である。

六  損害の填補

本件につき被告が休業補償金一二万八、〇〇〇円を支払い、原告が自賠責保険金二一七万円を受給したことは当事者間に争いがなく、これを前記損害金の過失相殺をした残金二五九万一、四九二円(円未満切捨)から差引くと残金は二九万三、四九二円とする。

七  弁護士費用

弁論の全趣旨によれば、原告は福岡県弁護士会所属弁護士竹中一太郎に本訴追行を委任し、相当の報酬の支払を約したことが認められる。そこで本件事故の内容、認容せらるべき損害金額を考慮すれば、本件につき事故と相当因果関係があつて被告の負担に帰せらるべき損害と考えられる弁護士費用は金三万円と認めるのが相当である。この判断を左右するに足る証拠はない。

八  そうすると、被告は原告に対し、第六項記載の金二九万三、四九二円と第七項の金三万円を合せた金三二万三、四九二円並びにこれに対する民事法定利率年五分の割合による遅延損害金を支払う義務があることになる。そこで、遅延損害金の起算日を検討するに、右金二九万三、四九二円については原告請求の通り本件事故発生の翌日である昭和四四年一一月一〇日であるが、右金三万円については本件訴訟委任契約成立の後、これを被告に請求した翌日と解するのが相当である。そうして記録によれば、本件訴訟委任契約は本訴提起の前日である昭和四七年三月二八日成立したことが明らかであるから本訴状が被告に送達されたことが記録上明らかな同年四月三日の翌日(四日)をもつてその起算日と為すべきものである。

九  よつて原告の本訴請求は、損害金三二万三、四九二円及びその内金二九万三、四九二円に対する昭和四四年一一月一〇日から、内金三万円に対する昭和四七年四月四日から各支払ずみまで前記年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度でこれを認容し、その余は失当として棄却することとして民事訴訟法第九二条、第一九六条適用の上、主文の通り判決する。

(裁判官 岡野重信)

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